四国八十八ヶ所 第7回
2015-2-12~13 41名
行程 一日目 梅田(7:40)=明石海峡大橋=大鳴門橋=39番延光寺=アカメ会館=
=四万十川遊覧=ホテル足摺園(泊)
二日目 ホテル(7:40)=38番金剛福寺=足摺黒潮市場=40番観自在寺=41番
龍光寺=42番仏木寺=43番明石寺=松山道 石鎚レストパークリンリン
徳島道 吉野川ハイウエイオアシス=大鳴門橋=明石海峡大橋=梅田(22 :00)
一日目
第39番 寺山院 延光寺 高知県宿毛市平田町中山
本 尊 薬師如来
開 基 行基菩薩
創 建 神亀元年(724)
真 言 おん ころころ まとうぎ そわか
土佐路の最南端、「修行の道場」の最後の霊場である
行基菩薩が聖武天皇の勅命を受けて薬師如来を彫像し
これを本尊とした
弘法大師がこの寺を訪ねたのは延歴年間(782~805)で
桓武天皇の勅願所として再興
眼洗い井戸
大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が今日に伝わる
「眼洗い井戸」である
四万十川遊覧
柿田川、長良川と共に三大清流の一つ で
ある四万十川を30分ほど遊覧する
遊覧船で投網漁法と 柴漬け漁法を見る
投網漁法は体力と熟練がいる
実演で引き揚げた網の中には残念乍ら
何もなかったが漁師のユーモアで爆笑した
柴漬け漁は枝に葉のついた柴を束ねて水中に沈めて置き 翌日に引き上げ大網で掬い捕る漁法
これには もずく蟹が3・4匹ひっかかっていたが 本命はうなぎがいるそうな これも又言い逃れ的な解説に笑わせられた。
宿泊 ホテル足摺園 高知県土佐清水市足摺岬
豪華な皿鉢料理を部屋毎グループの3人と仲良く珍しい
料理を一品一品 取り上げて楽しく頂く
知らない者同士が食べることで お互いの話題が広がる
一人は登山家でリーダー格、一人はけもの道歩きが好き、
偶然に山好きが三人集まって嬉しい会話になった
二 日 目 ホテル出発 7:30
第38番 補陀落院 金剛福寺 高知県土佐清水市足摺岬
本 尊 三面千手観世音菩薩
開 基 弘法大師
創 建 弘仁3年(822)
真 言 おん ばざらたらま きりく
弘法大師は足摺岬突端に広がる太平洋の 大海原に 観世音菩薩の理想の聖 地 補陀落の世界を感得した。
岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、断崖に砕ける波涛、 観世音さまの浄土を連想させる
ここにたどり着く遍路の旅は壮絶で、 前の37番札所から80余Km。 車で2時間余歩いたら約30時間で3泊4日は かかる まさに「修行の 道場」である
第40番 薬師院 観自在寺 愛媛県宇和郡愛南朝
本 尊 薬師如来
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 おん ころころ せんだり おとうぎ そわか
本堂は昭和39年全国の信徒の浄財だけで再建された
愛媛県は「菩提の道場」
弘法大師が大同2年に平城天皇の勅命を受けてこの地を訪れ 一本の霊木から本尊の
薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫像して安置し開創された
残った霊木に「「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝板を造って祈願された
第41番 護国院 龍光寺 愛媛県宇和島市三間町戸雁
本 尊 十一面観世音菩薩
開 基 弘法大師
創 建 大同2年(807)
真 言 おん まか きゃろにきゃ そわか
宇和島は伊達家十万石の城下町で、往時の神仏習合の面影を
色濃く伝えている霊場である 山門をくぐると狛犬が迎えてくれる
弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの老人が現れ「われこの地に住み法教を
守護し、諸民を利益せん」と告げた
大師はこの老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、稲荷明神像を彫像し安置した。
本地仏とする 十一面観世音菩薩 脇侍として不動明王 毘沙門天も造像し一緒に安置し
「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺とされ、開創したと伝えられる
第42番 毘廬舎那院 仏木寺 愛媛県宇和島市三間町則
本 尊 大日如来(弘法大師作)
開 基 弘法大師
創 建 大同2年
真 言 おん あびらうけん ばざらばどばん
弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会った。誘われるまま
牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって
光を放っているのを目にした、これは唐から帰朝する時に、
有縁の土地が選ばれるようにと 三鈷と共に東方に向かって
投げた宝珠であった。
大師はこの地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を
彫像、眉間に宝珠を埋めて白豪とした、これを本尊として安置し「一山仏木寺」と名づけた。
第43番 円手院 明石寺 愛媛県西予市宇和町明石
本 尊 千手観世音菩薩
開 基 円手院正澄
創 建 600年代
真 言 おん ばざらたらま きり そわか
6世紀の後半 円手院正澄と言う行者が欽明天皇の勅願により建立
弘仁13年 (822) 弘法大師は嵯峨天皇の勅命を受け荒廃した伽藍を再興
建久5年(1194年) 源頼朝は池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納
室町時代に 領主西園寺家の祈願所とした
江戸時代は 宇和島藩主伊達家の祈願所となり末寺は70余寺をを数えた
(土佐高知16ヶ所修行の道場 第24番最御崎寺~第39番延光寺)
バス走行距離 一日目約500Km 二日目約500Km 帰着大阪梅田22時 お疲れ様でした。