2014年11月20日木曜日

葦の会

「安土城跡」歴史散策
                                      2014-11-5      26名

  行程 JR京都駅(米原行9:34)ーJR安土駅(10:30)-安土城跡見学ーJR京都駅(15:40)



 JR安土駅前に「織田信長」の像に迎えられる



            
             

                    朝鮮人街道


               織田信長が安土城を築城の際に京都までの              
                                       道を結んだ、「浜街道」と言われ又中山道の
               「上街道」に対して「下街道」とも言われた


            
                          

                      


  セミナリヨ 

      
  イタリア人宣教師オルガンチノによって                                      
  天正9年(1581)創建された、日本最初の神学校の跡
  安土城炎上の際に焼失した 





                             安土城大手口跡

        安土山南山裾には大手口、東虎口1 西虎口1、2、      

        帯郭虎口1 大手口以外に4ヶ所に入り口があった







 
百々橋を渡って安土城に入る   
                    

                        
           築城当時の石垣


      
           
                                            


                         






信長公本廟
羽柴秀吉は天正11年信長公の遺品を埋葬して本廟とした 





            天守跡

           ボランティアガイド氏の熱心な説明を聞く 
           1,2m おきに礎石が整然と並ぶ
           
           標高199mの安土山に我が国で初めて
           天守閣をもつ城を完成させた
           五層七階(約33m)の高層建築であった

              
              


         天守閣跡から琵琶湖を望む。 現在は四方とも干拓により陸地tになっているが
         城の近くまで内湖に囲まれて南方のみ開けた土地であった 




                三重塔は室町時代の建物で享徳三年(1454)建立
       総見寺は安土城築城の際(天正四年)信長公が他所より移築し 本丸の西方の
       峰に自らの菩提寺にしたと伝えられている
       天正十年の天守崩落の際は焼け残ったが 安政元年(1854)本堂など殆ど焼失

      下りは再び自然石のがたがたした石段をころばないようにゆっくり降る
      元の道をあるいて駅前に着く         JR安土駅14:50=JR京都15:40 解散


  

お遍路


四国八十八ヶ所 第5回 (24番~30番)

                                      2014-10-29-30    44名
行程 一日目 JR京都駅八条口 7:40
 
          第30番善楽寺=第29番国分寺=第28番大日寺=ホテル南水(泊)

    二日目  ホテル7:30 出発
           第27番神峯寺=第26番金剛頂寺=第25番津照寺=第24番最御崎寺                                                         =  御厨人窟  京都八条口20:00着
 
 
 
        一日目 第30番 百々山 東明院 善楽寺
                                


         本 尊 阿弥陀如来
         開 基 弘法大師
         創 建 大同年間」(806~810)
         真 言 おん あみりた ていせい からうん

  
この辺り一帯は、往時「神辺卿」と言われ 土佐では最も古くから

栄えた地方である


・梅見地蔵は梅の木を見上げているお姿であって首から上の

 事にご利益がある(目 耳 脳や 合格祈願等) 


                                 梅見地蔵

 

第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺   高知県南国市国分
                                                               
 

 
    本 尊  千住観世音菩薩

    開 基  行基菩薩

    創 建  天平13年(741)

    真 言  おん ばざらたらま きりく                                

仁王門 (土佐2代藩主山内忠義公の寄進)











       本 堂                                      大 師 堂
 

 聖武天皇が全国68ヶ所に国分寺を建立したのは 天平13年(742)のころで 弘法大師がこの地

  を巡錫(じゅんしゃく)したのは弘仁6年(815)のころで 毘沙門天像を彫像して奥の院に安置
   
  された。その際に本堂で真言八祖に相承(互いに受け継ぐこと)される厄除けの「星供の秘法」

  を修められれた、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。

  本堂は長宗我部元親が再建し 外観は天平様式を伝え重要文化財に指定されている

  
  
第28番 高照院 大日寺                高知県香南市野市町母代寺

                               
  本 尊  大日如来

 開 基  行基菩薩

 創 建  天平年間(729~749)

 真 言  おん ばざら だどばん




縁起によると 聖武天皇の勅願により行基菩薩が大日如来の

尊像を彫像して開創されたと伝えられている。

弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)楠の大木に爪で

薬師如来像を彫られた 以後荒廃していた寺が隆盛を誇り                          
                                                  本 堂
17世紀に土佐藩の祈願寺となった
                       

行基菩薩作とされる金剛界大日如来像は高さ146cm
脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ
高さ172cmと大きくともに重要文化財に指定されてる

大師が楠の立木に掘られた「爪彫り薬師」は 頭 眼
鼻 耳 顔等の病に霊験があらかたとされている

                                大師堂 
  
 
                   
   土佐の 「水切り瓦」
   
                                      
               
                        
                                         
                                            
                                                          
                                             
      





室戸市吉良川町は「水切り瓦」造っている家が多い、強い日差しや雨守る働きがある
技巧的な左官工事で装飾性が高い.費用がかさみその家の経済力を示す

二 日 目  第27番   地蔵院 神峯寺( こうのみねじ)    高知県安芸郡安田町


本 尊  十一面観世音菩薩(伝行基作)
  開 基  行基菩薩
  創 建  天平2年
  真 言  おん まか きゃろにきゃ そわか


   
    勾配45度 13㌔の急坂をタクシーに分乗して中腹まで行く
    縁起によると神武皇后の世に勅命で天照大神をを祀る
    神社が起源とされる
 
    聖武天皇の勅をうけた行基菩薩が天平2年観音菩薩を
    彫像して本尊とし 神仏合祀を行った
    明治初期 神仏分離令により 神峯神社だけになったが
    明治中期に堂舎を建立し霊場が復活した





幕末の頃三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が20㌔離れた家から急な坂道を21日間日参し
息子の出世を祈願した話はいまも伝わっている

昭和30年代 愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放され
たが 夫婦はこの峯で霊験をえて奇跡的に全治した実例もある(大きな石造が奉納されてる)


第26番 光明院 金剛頂寺           高知県室戸市元乙




 本 尊   薬師如来
  
 開 基  弘法大師

 創 建  大同2年(807)

 真 言  おん ころころ せんだり              

        まとうぎ そわか






大師が平城天皇(806~809)の勅願により 本尊の薬師如来を彫像して創建した

室町時代に堂宇を罹災したが、長宗我部元親の寺領寄進や、又江戸時代には土佐藩主の

祈願所として諸堂が整備されている

   
第25番  真言院 津照寺(しんしょうじ)      高知県高知市室津


 
  本 尊  地蔵菩薩(摂取菩薩)

  開 基  弘法大師

  創 建  大同2年(807)

  真 言  おん かかかび さんまえい そわか


  

  
    弘法大師が四国ご修行の際 山の形が地蔵菩薩の持つ

  宝珠に似ているところから霊地とし、地蔵菩薩を自ら刻み
  
  本尊とし 宝珠山 真言院 津照寺と号された


                  


   第24番  明星院 最御崎寺(ほつみさきじ)     高知県室戸市室戸岬町



       本 尊  虚空蔵菩薩

   開 基  弘法大師

   創 建  大同2年(807)

   真 言  のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん
                  ありきや まりぼり そわか

「修行の道場」とされる土佐最初の霊場 太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある

空海19才のころ虚空蔵求聞持法の修法に励み成就し 虚空蔵菩薩を彫造して本堂を建立す


    

 「空海の七不思議」  
 
小石で岩を叩くとかたい鐘の音がする

     
 


    「空海の七不思議」                                                       

    「くわずいも」            

  昔 土地の者が芋を洗っているところに
  弘法大師が通りがかりその芋を乞うたところ「これは「食えな    
  い芋だ」と言って与えなかった、それ以来ほんとうに食べら        
  なくなったといわれている
            (現在は胃腸薬として利用されている)

                   御厨人窟 (みくろど)

   室戸岬町にある弘法大師伝説の海蝕洞である、四国八十八箇所番外の一つで

   日本音風100選に選定されている(洞窟の中で聞こえる豪快な波の音)


   「御厨人窟」は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられ

   いる。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる

  「神明窟」で難行を積んだと伝えられる。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟り

   が開けたと伝えられている

   
                                                 
             御厨人窟               
                                                   

                   
                                                 神明窟                                                                      
                                   


  



                                                                          

 
 
思った通りには ならないが やった通りにはなる
 
 
                                         嵐 了寛 

2014年11月3日月曜日

東海道五十三次



第1回 三条大橋~大津
                                       2014-10-21        33名

行程  京都(9:00)・・三条大橋・・日ノ岡・・山科・・追分・・月心寺・・蝉丸神社・・札ノ辻・・大津

京都八条口で 大阪集合のみなさんと合流しリーダーの合図でスタートと言ってもJR京都駅

八条口からになったので得をしたのか 損したのか一里(4㌔)京都市内を歩いて五条大橋からは

鴨川の河川敷をあるいて三条大橋に至り改めて講師の説明を聞き「東海道五十三次スタンプ帳」 

と本日のウオークの地図が配布される


 
                    
                                                   







  
お江戸をめざしていざ出発                      三条大橋のたもとに「弥次喜多」
                                                              

参加者の中には 「東海道五十三次」を初めて歩く人もいるが 二度目の人もあるらしい雰囲気で

まあ気楽に歩いていると 先頭の講師がゆっくり立ち止まり新しい石碑を                  

指さし「坂本竜馬の結婚式場」がこの地であると言われる                                                    
   (この地は青蓮院の旧境内で 塔頭金蔵寺跡。 竜馬はお龍の                             
   亡父が青蓮院の医師をあったご縁で金蔵寺住職知足院が仲人を         
   務め本堂で内祝言をした。 元治5年1864年)

東海道は 古代 中世を通じて東西交通の重要な幹線道路だったが

江戸時代に本格的に整備され 6間巾(約10.8m)の道路であった




歌川広重 
「東海道五十三次」 「京都」

・茶色の山は 比叡山

・緑色の山の中腹に清水寺

・橋を渡る人右から行商2人

・番傘をさす裃姿の武士

・日傘を下女に持たせた
           商家の娘

                                    ・川面を眺める旅人の後ろに茶筅売                  
                                     (稲を束ねたものに茶筅をさしてる)

「日ノ岡」辺りで旧東海道の狭い道に入り「亀ノ水不動明王」(木喰寺跡)の前に立ったが

残念ながら荒地で 雑草が思い切り伸びてしまっている

  八年前に来た時は 江戸から京都に上って来て旅人が

  最後の水飲み場であった事に納得した、昔に思い巡らし                     

  亀型の口から出てくる水を飲んで感慨があったが               

  現在は管理者の不都合で荒れ果て憐れである

      亀の水不動                               
         


再び一号線に出て天智天皇陵前を通り過ぎJR山科駅前に到着

昼食タイムでお弁当が配られる  ゆっくり雑談などしてくつろぐ

講師が午後は月心寺と蝉丸神社を過ぎたら「大津」で終わりです

と皆さんを励ますように張り切って声をかける

子供の頃から 琵琶湖の水泳場に良く通った1号線(東海道)なので

見慣れた道のりには 感動は無いが 運動だと思って歩く

  

   
                  

 

      






   月心寺(名泉 走り井)

                     


     


     

「大津」  ・背景にこんもりとした逢坂山                     

  ・走り井茶店の中に巡礼の女が2人入って来たところ

  ・左手前に走り井の水がこんこんと湧き出て魚の行商人が平桶に入れてある魚を冷やしている




京阪電車の遮断機の向うに「蝉丸神社」

「逢坂の関」の守護神

ご祭神  猿田彦 豊玉姫  琵琶の名手 蝉丸霊を合祀




石碑  「逢坂の関所跡」










   国鉄東海道線 旧逢坂山隧道東口

明治10年(1878)東口と西口から掘削し
明治13年に竣工

生野銀山の労働者がノミやツルハシで
                    掘った




                            

                  
               
鉄道旧隧道口から再び1号線(東海道)を東へ歩いて「札ノ辻」に
至る 道標から左(西)へは北国街道に通じる

道標から京町通りを少し歩くと「大津事件跡」碑がある
明治24年ロシア皇太子暗殺未遂事件があった
明治天皇は翌日見舞いに赴かれたり 大臣方が辞職したり     日本中に大激震が走った。
                                                                            JR大津駅前に到着しここで解散となる   16:00

  

2014年11月1日土曜日

枚方山歩きの会


京都の史跡を巡る街中ウオーク
                                          2014―10ー5     1名
 

      集合 叡山電鉄 出町柳駅改札口前 9時30 分 

      コース  一乗寺駅・・・八大神社・・・鷺森神社・・・赤山神社・・・三宅八幡宮・・
         
            ・・宝ヶ池・・・下賀茂神社・・・糺の森・・・出町柳駅


      天気予報では台風 となっていたが 「なんとかなるよ」と自分流に勝手に思い込み

      駅前でぼんやり待っていたが  誰も来ない

     「もしもーし 会長さん 今日は中止ですか?」 「ああッー 中止です」 やっぱりなあ!

     空を見上げて考える おひとりさまウオーキングもちょっとスリルがあっていいかもー  

     駅が発行している「ウオーキングまっぷ」をゲットして目的地別の歩行色線をしばらく

     見つめる  なるほど黄色線コースをたどればなんとかなるんじゃよ よしよし レッツゴー

     
     叡山電車に乗り「一乗寺駅」で下車 東西に通る道路を東へ東へと不安ながら歩いて

     「白川通り」に出た 「詩仙堂→」の案内看板があった(観光都市らしいな) OK!

    ゆるやかな坂道を歩いていくうちに「詩仙堂」らしい場所にたどり着いた 拝観に入ろうか、

    有名な あの「獅子脅し」の筧の風情も結構だけど本日はパスと素通りして間もなく   

    「八大神社」の参道に至り坂道を進むと「湯立神事」の立札があり 境内には笹の葉付きの

    細竹が3m四方に立ち、しめ縄が張り回らされ 中央に大釡が火床の上に据えられいる

湯立神事は 先ず本殿で祭礼の儀式 「栗御供の儀」が行われる、三宝には栗 柿 塩が盛られ

本殿と末社五社にもそれぞれ捧げられ祝詞を奉じて厳かに進められた。次に「湯立神事の儀」が

行われる 祝詞奉上の後巫女が参拝し 参拝者一同が拝礼し前庭に設えた湯釜の前に移動して

巫女がお神楽を奉じ 続いて窯の前で祈りの言葉毎に酒、塩、が釡にそそがれ 笹葉束を湯に 

つけては空気を払うように振り撒かれる 湯しぶきが四方に飛び散る 同じ動作がゆるやかに  

何度もくりかえされる 参拝者20人ほどは身動きもせず 声を発する人もなく 古今続いてきた   

この宮の優雅な歴史を感じる
            (湯立神事は7月にも早苗振祭があり 他にも祭事が24回と月次祭がある)

   
    御祭神 素戔嗚命 稲田姫命 八王子命(5王子 3王女)
    由 緒  勧請 永仁2年(1294) 都の表鬼門で皇居守護 (北の祇園と言われている)

祭礼が終わり散会になったので心ばかり献銭し拝礼をして木陰に置いていたリュックサックを

背負って境内脇にある 宮本武蔵の決闘当初の一乗寺下がり松の古木を感慨深く拝観した
                                                 (10:00~11:00) 
次の目的地の鷺森神社への道をたどるが 途中「曼殊院→」案内板があり 訪れてみることに  
                    
 しようと道行く人に尋ねてみたり 案内板をたどったりして・・・・・・・ 到着


  
曼 殊 院

門前の石碑 「天皇皇后両陛下行幸啓」





     

曼殊院門跡は伝行大師の草創に始まり(八世紀)比叡山西塔北谷にあったが            

明暦二年(1656)良尚法親王(後水尾天皇猶子(兄弟)がこの地に造営された。

建築は桂離宮との関連が深く襖の引手が瓢箪や扇であり桂離宮の立住まいを思い出した

有名な国宝「黄不動尊」を拝観し 狩野探幽の障壁画の古色を神妙に拝観する


               名勝庭園に指定されいる庭は遠州好みの枯山水

 久振りに時を忘れて歴史文化観賞に満足して門を出ると辺りはちょっと紅葉が始まっている
                                                                                                                                (11:30 ~12:30)
 民家の建ち並ぶ細い道路をしばらく歩いてやがて車の走る通りへ出たが 坂道を上に行くのか

 下ればいいのか不安に思いながら下っていると 道路脇の岩石に「鷺森神社」と刻れている
 
 前に立って鳥居は何処かと 四方を見渡すが無いし 道も無い なんじゃこれは?昔はここから

 行く道があったのかな 「すみませーん 神社へ行くのは どっち?」「そこの細い道からです」

 へえー!余所のお家に入っていくのーっと思ったが言われた通りに進むとずーっと道が続いて

 気が付くと「鷺森神社」の横境内に着いた。 お腹が空いたァ。 お弁当が美味しい。  満足。




 

鷺 森 神 社
                                                         
祭 神  素戔嗚尊
創 建  859~877





 熱心に何かを見ている女性に声をかけると爽やかな笑顔で
 
 「神社が好きで京都市内は殆ど詣りました」  若い人の中にはこんな人もいるのかと新鮮な驚き

を感じ 元気を出して次の目的地「赤山禅院」へ地図を頼りに歩き出す     (12:40~13:00)
   
                                                   

     赤 山 禅 院 

     創 建  平安時代(888年)慈覚大師円仁の遺命により創建

  本 尊  赤山大明神

  *  皇城の表鬼門の鎮守として祀られている
  *  千日回峰の「赤山苦行」の寺(百日の間 比叡山から
       雲母坂(きらら)を登降する荒行)

                         *  七福神めぐり発祥の寺 (福禄寿の寺)
                         *  「五十(ごと)払いの風習の始まりの寺(商売繁盛の寺)

        
スピーカーから「般若心経」の読経が参道から全山にいたるまで 聞こえていて ドキッとしたが

本日は「泰山府君(赤山大明神)」の五日講で受付でご自由にお参りくださいと優しく言われる

本堂の中には十七・八名の信者さんが読経に唱和されている(今日は神仏にご縁がある)

時間が気がかりなので境内を一廻りして辞する                   (13:40~13:50)

この界隈は 修学院離宮が近くにある所為か 静かな町並みで 別邸かと思はれるお屋敷もある

次の目的は「三宅八幡宮」で地図を片手に てくてく すたすた 歩いていると住宅の片隅に

「ひえい山登り口」の道標を発見 現在は見向きもされないのか樹木の枝葉と同居している

道は一本筋と思っていたが分かれ道に来て しばし立ち止まる

ス―パーのポリ袋を提げた男性が坂道の下から上がって来られ

たので方角を尋ねると「山を上がった所で左へ」と簡単な説明で 

ありがとうございますと言ったものの、これから山に登るかな? 

大変だと 思いつつ進むと峠のような場所に立ち はた、と意味
 

がわかった 土地の人はこの辺りの道を「山を上がる」と云うんだ 了解したよ、 そして下り道を  

進んでいると 大きな犬の綱を引いている女性に「三宅八幡駅」へ行きたいんですが」と尋ねると 

女性は大きな犬をなだめ鎮めてから 右へ行って左に曲がってと詳しく丁寧に教えていただいた  

お礼を言ってさっさと歩いているが、 もう分からなくなったしまった          

ままよ 行きまひょ てくてく・・・家の横庭で洗濯物を干している奥さんに声をかけると 指さして  

「そこを真っ直ぐ行って左に曲がって」 簡単明瞭な答えに不安も吹っ飛んで 元気を出す

叡山電車「三宅八幡駅」前に至って「三宅八幡宮」の大鳥居をくぐって又ひたすらに歩く


子供の頃「かん虫封じ」によく連れてきてもらった事を思い出し

ながら 歩いても 歩いても宮は見えない 一度 二度 問うと

 「はあ 直ぐそこです」 こんなに長い道だったのかなあ

乗合馬車で「かん虫封じ」に行ったのは何処だったのか 帰りの    

馬車の中の子供達のおでこに まじないの 赤いちょぼ点が付        
                                               三宅八幡宮
いていて 神妙な顔をして 馬車に揺られていた

    祭 神  応神天皇
    創 建  6~7世紀  
          応仁の乱で全焼したが 明治になって 本殿 拝殿が再建された子供の守り神と        
          して「かん虫封じ」「病気平癒」にご利益がある 別名 「虫八幡」とも云われる          
          神の使いとして「神鳩」とが奉じられている
     
                                                                 
宮はひっそりとしている 参拝して あの懐かしい「鳩もち」は何処かなと探したが「菓子処」一軒

陳列には 今風のニッキもちで 記憶にあるのとちょっと違い(80年も昔のこと) がっかりする

と 雨がとうとう ぽつり  ぽつりと 落ちてきた (カメラのシャッターも故障して 無念)
                       

次の行程は 宝ヶ池から下賀茂神社であるが 又の機会の宿題にして帰り道を急ぐ (14:30)

           叡山電車「三宅八幡駅」 14:50  京阪電車「出町柳駅 (15:15)